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2015年03月07日

ラクチ遺跡のピラコチャの神殿 マチュピチュ&インカの旅15

ラクチ遺跡のピラコチャの神殿 マチュピチュ&インカの旅15

私達は、ミスミナイ村からクスコに戻った翌日、今回の旅の中で最も標高が高い4335mのララヤ峠とチチカカ湖を目指すことになりました。
ペルーの旅行もここが最終地点です。

朝から私達はバスに乗りララヤ峠を目指します。

しかしその前に、とても大切な神殿に私達は招かれることになりました。
それが、ラクチ遺跡のピラコチャの神殿です。




ラクチ遺跡は、インカ帝国でスペインによる侵略とキリスト教の布教がされるまで信仰されていた神であるピラコチャ神を祭った神殿といわれていますが、インカ時代よりもっと昔から神殿として機能していたという説もあるようです。
建物の土台と下部は石積みで、その上は日干しレンガの壁でできています。
ここに残された巨大な壁のようなものは、実は壁でなく神殿の内部を支える柱だったようです。
それでも高さ12m、幅92mの中心壁は凄すぎます。

おそらくインカ時代の前、チチカカ湖で生まれたティワナク文明の影響を受けているものと思われます。
このティワナク文化は、紀元前200年から紀元後1200年頃まで続いた長寿文明で巨石建造物を広範囲にわたって作っています。

もちろん中心となるのは創造神ピラコチャですが、ピラコチャはインカの人々が懐けた神様の名前なので、ほかの名前がきっとあったことでしょう。




私達は、このピラコチャの神殿に入ります。
巨大な壁に圧倒された主神殿を目の前にして、太陽神への思いを捧げます。
そして太陽神殿の横にある居住区に入ります。
居住区には、最古の貯蔵庫と呼ばれている石つくりの倉庫があります。



そしてこの居住区の面白いところは、太陽が冬至の季節に上る方向に向かって、一直線に通路が作られ、その通路に向かい合うように住宅などが整然と作られていたことです。
その当時、人々は、魂は冬至の太陽のもとで生まれ変わると信じられていたようです。
マチュピチュの太陽の神殿も、冬至の太陽が昇る方向に窓が開いていましたね。
そのように信仰と都市の作りが一つになっています。
私は、その通路を最後まで歩き、そこから太陽の神殿のほうを振り向いてみます。
確かに、まっすぐです。



この神殿に立つと、古代インカやインカ以前の文明の素晴らしい叡智に触れずにはいられません。
地球の人達と星の人達が一つになって文明を創造していった大切な道筋に触れたような気がします。


  


Posted by 瀬戸 武志 at 09:17Comments(0)インカへの旅