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2013年12月24日

南イタリア旅行記PART5  ボンベイ遺跡 ポセイドンのお風呂

南イタリア旅行記 PART5  ボンベイ遺跡 ポセイドンのお風呂


ボンペイは、神殿だけでなく大きな交易の町としても栄えていました。

昔はこのすぐ近くまで海が来ていたようで船着き場も近くに残されています

上の写真は、交易を行うための市場です。

この市場は2階建てになっていたようで、食料品や家畜なども幅広く販売が行われていたようです

またそのことを表す壁画も残されています



こちらは通りに作られた大きな門から、ベスビオ火山を覗いています。

この門の横には大きな食堂などもあったようですね

通りもそのままの美しさで残っています




この写真は、おそらく世界最古のパン屋さんの遺跡です

きちんと粉を引くうすやパンを焼く窯もきちんとそろえてあります

古い時代の遺跡ですが、驚いてしまうくらい生活感が残っていますね



この町には公共のお風呂も残されていました。

この町はポセイドンにささげられた町ですから、入口にはポセイドンの彫像も掘られています




私が驚いたのは、幾部屋にもわたるお風呂の多彩さとともに、壁に残された彫像やレリーフの美しさです。

時をこえて、そのままの姿で残っているところが感激です

昔の人の優雅な生活を垣間見ることができます。

こちらは美しい天使のレリーフ

この時代、もうすでに天使たちが信仰の対象となったいたのでしょうか。




こちらは羽が生えたペガサスですね

そしてとても精巧な立体彫像たちです

これで、私のギリシア・南イタリア旅行記は終了です



  


Posted by 瀬戸 武志 at 14:10Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月23日

南イタリア旅行PART4 ボンベイの神殿遺跡

南イタリア旅行 PART4 ポンペイの神殿遺跡



今回の南イタリアの旅行で最大の目的は、このポンペイの失われた都市の遺跡を訪ねることでした。

西暦79年8月24日、ベスビオ火山の大噴火で南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれてしまいました。

その後、およそ1700年の時を経て始まった本格的な発掘によって、時が止まったままの古代都市が出現しました。

発掘によって現れたポンペイの町は、整然と区画され、住居はもちろん、劇場や公衆浴場、下水道まで完備されていたというからすごいですね。

およそ、人口1万人以上と推定される町には、壁画やモザイク画も当時のまま残されていて、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりが想像できます。



最初の遺跡は、入口近くにある遺跡です。

このすぐ上の写真の遺跡は、野外音楽堂ですね。

現在もこの音楽堂は時折コンサートに使用されているようです。

とても美しいコンサート会場です。




この通りはポンペイのメインの通りです。

発掘された状態のままですが、中央が少し高く左右が低くなっているのは、雨の日に中央に水がたまらないようにしてあります。

さすがに生活の工夫はすごいものがあります

時折飛び石みたいなものもあり、歩行者用の道がつくられているところもあります。

道の横に見えているのは、当時の水道設備です

2000年前に水道設備が整った都市があったなんてすごいですね

日本はまだ、弥生時代の始まり、米つくりの村が生まれたばかりのころでしょうか



こちらは大きな広場の中にある神殿の名残ですが、美しい白い柱が並んでいます

とても印象的な光景です。



この旅行の中でのベストショットの1枚、フォローと呼ばれる広場にある神殿とベスビオ火山です

ナポリと鹿児島は、実は姉妹都市です。この火山もナポリ川から見ると桜島にそっくりです。

この火山が一気に噴火して、ポンペイの都市は灰におおわれて埋もれてしまいました。

鹿児島もそうならないように、無心で祈る私でした




この上下はポンペイの守護者、アポロンの神殿です

アポロンは、太陽と芸術の神様ですね。

皆さん、あふれるばかりの陽光のもとで歌や踊りなどの芸術をしっかり楽しんだことでしょうね。





  


Posted by 瀬戸 武志 at 14:36Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月22日

南イタリア旅行記PART3 アマルフィ海岸

南イタリア旅行記PART3 アマルフィ海岸



ここが有名な世界一美しいといわれるアマルフィー海岸です

美しい海と入り組んだ陸地、美しい城を基調とした家並み

まさにイタリア、という感じです

このアマルフィーの名前の由来は、ヘラクレスが愛したニンフ(精霊)の名に由来するそうです

ヘラクレスはそのニンフと仲睦まじく暮らしていたが、ある日突然、彼女が死んでしまいました。

それを嘆いたヘラクレスはこの世でもっとも美しい土地に彼女を葬り、街を切り開いて彼女の名を付けた、とされているそうです。

あまり有名な話ではないのですが、とてもロマンチックな由来ですね

今度ヘラクレスに聞いてみようと思います  笑い



30 キロメートルに及び海岸線には斜面に張り付くように小さな町が点在しています。

降り注ぐ太陽と白い町並みがまぶしい高級リゾート地で、町の中心には千年の歴史をほこる大聖堂、アマルフィ大聖堂があります。

それを取り囲むように地中海都市特有の坂道と狭い路地が複雑に入り組んで、まるで迷宮のようですね。

人々は中世から変わらぬ生活を続け、レモンを畑で育て、坂の下まで人の手と足で大切に運ばれています。

そのレモンは、お酒としてもうられていて、私たちが食事をしたお店でも飲むことができます。

本当のお目当ては、ここにある青の洞窟だったのですが、昨日の雨で入れませんでした。 涙



珍しく私が映っている写真です

この写真を写したところには、売店があり、スパゲティに絡めて使用する乾燥トマトの粉やぺペロンチーノなどの粉も売られていましたので、皆さんお土産に買われています。
  
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Posted by 瀬戸 武志 at 13:54Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月21日

南イタリア旅行記 PART2 ガゼルダ宮殿


南イタリア旅行記 PART2 ガゼルダ宮殿



私たちが旅の7日目に向かったのは、南イタリアのガゼルダという町にある巨大なガゼルダ宮殿

ブルボン家のナポリ王が建てた宮殿で18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれています。

ナポリ王は、フランスのベルサイユ宮殿に負けないくらい大きくて美しい宮殿を作ることが目的だったようです

1997年、UNESCO世界遺産に登録されています。

それにしてもこの宮殿は大きくて、なかなか写真に入りきれません。

部屋数だけでも3000部屋あるそうですが、ちょうど感じの「田」の字の形をしていて、非常に機能的に作られています

この上の写真は、宮殿の後ろ正面です

正門から入ると、入口から宮殿まで2~3kmあるそうで、宮殿に着くころには見学時間が終わっています 笑い



この美しい通路が、宮殿の中心をつなぐ通路です。

バロック様式でまとめられた建築は、通路といえども美しいですね

このガゼルダ宮殿はいくつもの映画の舞台にもなっています

私がだいすきな「STAR WARS」の中でも、アミダラ王女の宮殿としても利用されています



こちらが、建物に入る正面の入口です。

「アマルフィ女神の報酬」の映画では、サラ・ブライトマンがここでうたったことでも有名ですね

とにかく大きいうえうに美しい空間です。荘厳ささえも感じられます

もちろん天井には美しい絵も描かれています



こちらは大聖堂へと続く回廊です。

この宮殿は内部がほとんど写真禁止なので、ご紹介できる場所が少ないのですが、

この奥にある聖堂は、さすが王様の聖堂と思わせるくらい立派で美しく、そこに立っているだけで光りを感じます

そして、この聖堂の奥には、秘密の宝物庫があり、扉が開いていたので自由時間の時に入ってしまいました。

素晴らしい金細工の宗教法具がたくさん並べてあり、つい息をのんでしまうくらいの美しさです。




これだけ白を基調としたデザインで、色の深みを感じさせる建物は、少ないですね

柱の1本1本がまさに芸術的です




ライオンもリアルさを超えて威厳がありますね

下の写真が宮殿を正面から見た時の写真ですが、この後ろには広大な庭園と彫刻がたくさんあります。

庭園を散歩する人のための有料馬車もあります。



  
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Posted by 瀬戸 武志 at 14:52Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月20日

南イタリア旅行記PART1 トゥルリの街並み

南イタリア旅行記1 トゥルリの街並み


私たちは、ギリシアのメテオラの修道院の見学を終えて、次の観光地イオニアに向かいます。

イオニアでは美しい湖を見学した後に、コーヒータイム。

そして深夜のフェリーで宿泊し、南イタリアに向かうことになりました。

翌日は、朝から専用バスに乗り込み、約1時間30分かけて、美しいアルベロベッロの町に向かいます。

この町は、トゥルリと呼ばれる白い壁に三角屋根のかわいいお家が立ち並んでいることで有名です。

アルベロベッロの町に着く前からまるでファンタジックな家が道の両側に見えてきます。



でもこのトゥルリと呼ばれる家の歴史は少し悲しいものがあります。

それはこの土地の領主が、国に納める税金を安くするために、その町の人口を少なく申請するための物だったのです。

国の役人が、人口調査のために、町に来るときは、この小さなかわいい家はすぐに壊されてしまい、

人が住んでいないように見せかけるか、家畜や家畜のえさを入れたりしていたそうです

そのために、簡単に作れて簡単に壊せるように、このトゥルリという家の作り方が定着したそうです。




しかし、このトゥルリー、見た目のかわいさ、美しさでとても評判になり、今は観光客がたくさん押し寄せる一大観光地になってしまいました。

このおしゃれな家が立ち並ぶ町並みには、素敵なカフェやお土産屋さんもたくさんあります。

中でも「陽子さんのお店」といって、日本人が地元の人と結婚して経営しているかわいいお店があり、

それがTVで放映されたこともあって、日本人観光客の新たな「聖地」となっているようです

私のツアーの人たちも、たくさんお土産を買っていました。

またトウルリーの屋根の頂点にあるのは、ただの飾りではなく、その家の家紋のような形のシンボルです




この大きなトゥルリは、王様のトゥルリーと呼ばれ、珍しく2階建ての大きなお家です

一般公開もされていて、中に入ると、少し前の農家の家を再現したような家具や農機具が置かれています。

中は、丸みのある白い壁でとても美しく上品で機能的です

ここに佇んでいると時間を忘れそうですね



この教会は、街の中心にあり地元の人たちが、通って来る教会です。

この日は日曜日でしたので、ギリシア正教のミサが行われていました。

とても清らかなエネルギーにあふれていましたので、私もずつと椅子にすわって神父さんたちの話を聞いていました。

最後に地元の人達と握手してお別れです。

少しだけアルベルベッロの町の人になってしまいました。



  
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Posted by 瀬戸 武志 at 17:01Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月11日

ギリシア旅行記8 カランバカの奇岩と修道院

ギリシア旅行記8 カランバカの奇岩と修道院



私たちはデルフォイを朝早く出ると、長いバスの旅を経てギリシアの北部にあるカランバカへとつきました

このカランバカに来た理由は、メテオラの奇岩と修道院を見るためです

メテオラは、ギリシア北西部、セサリア地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体のことです。

このメテオラ修道院群は、とても古いギリシア正教の修道院で、ユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されています。

このメテオラという名前はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロスという言葉に由来しているようです。



まさに見てわかるとおり、大きな岩の上に、修道院がたてられ、世を捨てた修行者たちが集まって毎日祈りをささげていました

当時は、奇岩の上に修道院を立てることだけでも大変な仕事だったと思われますが、

これもすべて神に対する献身の気持ちで、みなさん無報酬で行っていたようです

そして世間の流れと隔絶されたこの場所で、神との一体感を味わっていたことでしょう



最初に訪れたのは、この女性だけの修道院

今でも20名近くの修道女が生活をし、神への祈りをささげています

とても清楚で美しくすみわたった祈りのエネルギーを感じます

祭壇の前で、私も祈りをささげていたら、大天使サマエル様が話しかけてこられました

彼は、私たちが、星のツアーで天の川銀河から外に出た時に、多くの宇宙の生命たちとうまくコミュニケーションが取れるように計らってくれる役目をしてくれるようです。



次に行ったのは、男性の修道院です。

このメテオラにたくさんいた修道士たちは、このメテオラが観光地になったために

多くの修道士たちがこの地を去っていきましたが、残された修道士たちはこの場所で祈り続けています

狭い道を抜けて岩の山頂に上がり修道院に上がりますが、その意陸地のところに美しい壁画がありました

このページの一番上にある写真は、神を囲む天使たちを表しています。

この写真は、イエス様を描いたものです




ほかにも多くの修道院が、奇岩の上にへばりついて立っています。

美しい秋の紅葉の中で見る奇岩と修道院はとても美しいものです

そういえばこの奇岩は、ゼウス様がにかの拍子に怒って岩山を投げつけたのが原因でできたそうです


  


Posted by 瀬戸 武志 at 10:44Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月10日

ギリシア旅行記7オシオルカス修道院

ギリシア旅行記7 オシオルカス修道院


私が海外に旅行に行ったとき、もう一つ楽しみにしているのが古い教会です。

古い教会の時代の流れを感じさせるたたずまいはとても美しく感じます

そこに息づく人々の信仰や神に対する思いが、教会に刻み込まれているからです

その土地の風景に溶け込んでいるような教会のたたずまい、うつくしいですね




こちらの教会は、アテネからデルフォイに向かう途中にあるオシオルカス修道院です

この土地に生まれた聖人の方を祀ってある修道院です

もちろん現在でもミサなどは行われており、地元の人たちにとってはなくてはならない教会です



ギリシアは、正ギリシア教会の教会や修道院がほとんどですが、その教会の壁や天井には

古い時代からのフレスコ画やモザイク画が描かれていることが多く、

イエスキリストや聖母マリア様の様々なお姿が描かれています

わたしは、そのような場所で時を過ごすことが大好きです

人々の神々に対する真摯な思いが伝わってきて、私の魂を癒すからです。




こちらは修道院の天井に描かれているものですが、長い時代の中で鮮明さは失われてきていますが、

この絵から伝わってくる光はとても純粋で大きなものがあります

この下に立ちつくし瞑想しているだけで、神々とつながって行きます



やはり聖母マリアとイエスの絵はひときわ美しく描かれていますね

その奥には、ご神体と呼ばれるようなキリストの十字架の像があります



修道院の全体像ですが、その造詣の美しさに圧倒されてしまいます



  


Posted by 瀬戸 武志 at 10:52Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月08日

ギリシア旅行記PART6 デルフォイ博物館


ギリシア旅行記PART6 デルフォイ博物館

このデルフォイのアポロン神殿で発掘された遺跡は、そのほとんどがこの遺跡の横にあるデルフォイ博物館に展示されています。

突然の土砂崩れにより遺跡全体が埋まってしまったため、彫刻類の保存状態は最高に良好です。

金箔の衣装をまとった神の像や精巧な彫刻などがたくさん並べれており、つい見とれてしまいます

中でもこのスフインクスの像は素晴らしいものです

おそらく塔の上に乗せられていたものでしょうが、優しいスマイルを浮かべてみる人を癒してくれます。

エジプトのスフインクスと比べても、柔らかさが引き立っています



これはアポロン神殿の入口の扉の上にあった破風の彫刻

神々の物語を克明に描いていますね



アポロン神殿にはいくつもの高い塔が立ち並んでいました。

そして塔の上には、神々、特に女神の姿が描かれることが多かったようです

勇ましく人々を守護するアテナなどの女神像です



このアポロンの遺跡を一躍(有)目にしたのが、この青銅の御者の像です。

馬の手綱を引く御者の姿が、正確にまた美しく造形されています。

この性格で美しい像が発掘されたとき、みなさん驚いたそうです



これは遺跡ではありません

アポロン神殿を守るアポロニヤ様たちです


この日泊まったホテルから見たデルフォイの山並み





  


Posted by 瀬戸 武志 at 17:50Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月07日

ギリシア旅行記PART5 デルフォイの神殿

ギリシア旅行記PART5 デルフォイの神殿


私がギリシアに行きたかった最大の理由は、このデルフォイの神殿です。

30代のころからチャネリングを始めた私は、このデルフォイで行われていた予言神託がチャネリングの原点であると思っていましたし、

このデルフォイやギリシアの神殿にまつわる過去生なども時々思い出していました。

自分のアトランティスの過去生がこのデルフォイと重なって、この神殿のことをずっと考え続けていたこともあります。

デルフォイは、パルナッソス山(標高2457m)の南麓、パイドリアデス峡谷の急斜面に広がる、オリュンピアと並ぶ古代ギリシアを代表する聖域です。

山間に浮かんだように見えるアポロン神殿は、まさにレムリアの風の神殿。



古くはピュートーとも呼ばれ、大地の女神ガイアの聖地であり、その聖地を守る大蛇ピュートーの名前から命名された場所です。

この場所は、古くは大地の女神ガイア、もしくは、テイターン一族のテミスの聖域で、アポロンの前は、このテミスによる予言や神託が行われていたところです。

下の写真は、アポロン神殿に昇っていくところです。山の中腹にあり、この中に遺跡が埋もれていました。



この場所がなぜ山の高いところにあるかというと、ここ昔火山があった場所で、各地に火山性のガスが噴き出していました。

そのガスをビューティアーと呼ばれる巫女が吸い込み、もうろうとした状態で神がかりとなって、テセスの言葉を伝えたといわれています。

巫女も命がけだったようで、中には健康を害する人もいたかもしれません。

ある事情により、この大蛇ピュートーが、太陽神アポロンにより倒されると、巫女たちはテミスにかわってアポロンの神託を伝え始めました。

この神託を聞くために、地中海沿岸の王様たちはこぞって、この場所に貢物をもってやってきました。

また、神のご加護を受けるために、様々な神様の像や競技場などを作ったといわれています。

下の写真は、アテネの王様が寄贈した「アテネの宝物庫」




また、古代には、オンファロス(大地のへそ)を持つ「世界の中心」と考えられ、

宗教的な面だけではなく、政治的にも極めて重要な役割を果たしました。

私はここに多くのミステリアスなパワーを感じています。

ギリシアに来てから毎朝受け取っているメッセージでも、このデルフォイを通して、

地球に光りを送るように言われたり、テイターン一族の親分であるクロノスを癒しその復活を助けるように言われました。

デルフォイの神殿が見える場所に座ってしばらくの間瞑想していました。

私の中からとても心地よい感覚とともに大きなパワーに満ち溢れたエネルギーが沸き起こってきたことは忘れられません。



このデルフォイは突然の火山噴火か山崩れのために、一瞬にして埋まってしまったようです。

このデルフォイが発見される前は、地元の人達が遺跡の上に村を作って住んでいたようです。





  


Posted by 瀬戸 武志 at 21:41Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月06日

ギリシア旅行記PART4 エギナ島のアフェア神殿

ギリシア旅行記PART4 エギナ島のアフェア神殿

◎エギナ島のアフェア神殿

このエーゲ海クルーズの私的な目的は、エギナ島のアフェア神殿です。

もともとこのエギナ島は、アテネに対抗するくらい強い独立国家でした。

この島の丘の上に立っているアフェア神殿は、消えたものの神殿という意味らしいです。

ガイドさんによると、とても美しい女神のような存在で、前にいた場所でも多くの人に求婚され、

海に飛び込んで逃げたところを、この島に流れ着き漁師の網に引っ掛かって助けられたそうです。

この島でも、その美しさのあまりに漁師たちから求婚され、山の中に逃げ込んでその姿を消したそうです。



島の人たちは、そこから彼女へのアフェア信仰が起こり、アテネのパルテノン神殿よりも、

さらに古い時代、紀元前550年ころにはこの神殿は出来上がっていたようです。

見るからに美しく純粋な光りをたたえる神殿は、私のハートの中にもとても大きな光りを投げかけてきました。

私が合うべきもう一人のマスターは、この神殿の女神でありフェアリ一族の「アルトハイム」だったのです。

彼女は、このギリシアの地に使わされたフェアリーのマスターでした。

この地の動植物を生み育む役目を担ってこの地に降り立ったのですが、そのあまりの美しさに、

男性たちが虜になり、彼女の仕事を手伝うばかりか、彼女を求めて争いばかり起こしていました。

そのために彼女は、フェアリーの姿を消してしまったのです。

私の今日の仕事は、このフェアリーたちを復活させることでした。



私はこの神殿の中央に立ち、創造主に祈りを捧げました。

これから生まれる新しい世界を作るために、このギリシアはとても大切な場所となります。

現代につながる文明のもっとも古い時代の一つが、このギリシアを中心とした世界でした。

このギリシアから、再度新しい地球へと光りを広げていかなければなりませんし、私がここに来た理由もそのためです。

明日のデルフォイの神殿がその中心的な場所となりますが、その前にこのフェアリー族の目覚めを起こしていく必要があったようです。



とても不思議なことに、私がギリシアから戻り、アチューメントを行っていると、この天使でありフェアーでもあるような女性が、目覚めてきました。

彼女は自らをレオンハイムと呼び、この地球の生命達に進化と愛の光をもたらすためにやってきたことを告げました。

そして、彼女の生まれ故郷である大熊座のとある星へと私達をいざない、仲間たちを紹介してくれたのです。

彼女たちは、もう一度地球に光りをもたらし、地球を素晴らしい世界にするために、この地球に再び舞い戻ってきました

ここから、アランハイムを中心として、妖精たちの新しい物語が始まっていきます。

  


Posted by 瀬戸 武志 at 10:27Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月05日

ギリシア旅行記PART3 エーゲ海1日クルーズと聖ネクタリオス修道院

ギリシア旅行記PART3 エーゲ海1日クルーズ

この日は、早起きして、アテネを出港して1日で3つの島を回ってくる日本人観光菊定番の1日クルーズです。

船には、日本人のクルーもいてとても親切ですし、食事の後には、民族音楽の演奏や踊りの演舞があり、観光客を飽きさせない工夫がたくさんなされ私たちを楽しませてくれました。

最初船が出港して、かもめたちがたくさん出迎えてくれました。どうやら餌付けをされているようで、船のすぐ近くをいつも飛んでいます。

実は、この日の朝のリーデイングで、大切なマスターとこの日に会うことになっていました。

マスターは、どうやらカモメに姿を変えて、私に会いに来てくれたようです。

カモメと目が合うととても大きなエネルギーが流れ込んできます。

このマスターは、かつて昔から創造主とともに、この宇宙の進化や成長を見守り続けてきたグループのマスターの一人です。

彼と出会うことによって、私たちのこれからの活動が、今までとは全く異なるレベルへと引きあがります。




◎ボロス島

エーゲ海の1日クルーズで最初に立ち寄った島は、ポロス島です。有名な時計台があり、とりあえず観光客はここまで登ります。

私は港にある手工芸品のお店で、月と太陽をデザインしてある素敵なネックレスを買いました。

写真は、時計台に向かう途中にあるおしゃれなホテルの入り口



◎ イドラ島
その次の島は、イドラ島美しい海岸が魅力、山肌にへばりつくようにしてかわいいおうちがたくさんあります。

しばらく、港沿いに散策しながらお店回り。写真は、私達がクルーズに使った船です

下の写真は、港沿いにある街並みと時計台です





◎エギナ島と聖ネクタリオス修道院

私たちが最後によった島はエギナ島です。

ここで、私たちは、聖ネクタリオス修道院とアフェア神殿に向かうことになります。

この修道院は、島の町を向けて、アフェア神殿に向かう山の中腹にあります。

まだ建造中の修道院ですが、ここに安置されている方は、現代ギリシア人として初めて、

正教会で聖人と認定された方ですが、あまりの信仰心の強さのために疎まれてしまい司祭長から身分を落としてしまったそうです。

最後はこのエギナ島に修道院を作られ、多くの病気の人たちを救ったという伝説があり、世界中から病気の人たちが集まってくるそうです。

まるでホテルのような修道院と安置されている聖人です



私のリーデイングでは、この司祭とアフェア神殿のフェアリーたちは、スピリチュアルレベルで交流があり、

フェアリーたちの指導の下に病気の人たちの手当てなども行われていたようです。

非常に、アフェア神殿と同じような澄み渡った美しいエネルギーを感じる聖地です。

  


Posted by 瀬戸 武志 at 10:08Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月04日

ギリシア旅行記PART2 アテネ市内 ゼウス神殿 ハドリアヌス門

ギリシア旅行記PART2 アテネ市内 ゼウス神殿 ハドリアヌス門

このアクロポリスの丘を降りた後、アテネの中心地であるシンタグマ広場に戻りお昼ご飯と町ブラです。

とてもおしゃれな街並みのカフェで食事です。ギリシアが経済的に困窮しているとはとても思えないほどののんびりとした光景です。

お土産屋さんも多く革製品と工芸品が魅力的でした

食事は、何を食べたかほとんど覚えていません、その程度の食事でした 笑い。

そのあと、夕方にかけて、中心地を回ります



◎ギリシアの国会議事堂&オリンピア広場

とてもおしゃれな国会議事堂で、いつも警備の方が立っていて、女性の観光客は、よく写真をとっています。

そしてオリンピア広場、思ったよりもかわいい競技場です



◎町中にあるお風呂の遺跡

アテネの町は地下を掘れば遺跡に当たるというくらいたくさんの遺跡が埋もれています。

そのため大規模な開発ができないのです。これは町中にあったお風呂の遺跡



◎オリュンピエイオン(ゼウス・オリュンピオスの神殿)

私が、生きたかったもう一つの遺跡はここ、ゼウス神殿です。

紀元前6世紀から着工され、完成したのは紀元後131年。

時代の変遷の中で、ギリシアの最高神ゼウスの神殿がこの地に建てられていました。

昔は、104本の柱が立っていたという壮大な神殿ですが、現在は15本の柱が残るだけとなっています。

昔は、さぞパワフルで素晴らしい神殿であったとおもわれます。

今でも大神ゼウスのパワーを感じられるくらい素晴らしい遺跡です




◎ハドリアヌスの門

ゼウス神殿からアクロポリスを見上げるように立っているのが、2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスによって作り上げられたたかさ18mの凱旋門であるハドリアヌスの門です。

この門から、ちょうどアクロポリスの丘が見えます。



◎国立大学&図書館

夜にかけては、アテネの素敵なデートスポットもまわりました。ここは国立大学と図書館なのですが、夜になるとライトアップされてもきれいです。

真ん中に立っているのは、アテネの守護者女神アテネの像です









  


Posted by 瀬戸 武志 at 14:53Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記

2013年12月03日

ギリシア旅行記PART1 アテネ アクロポリスの丘

ギリシア旅行記PART1 アテネ アクロポリスの丘


念願のギリシアにやっと来ることができました。

現在宇宙の光りの活動でも、私たちを見守り支えてくれているのは、女神アテネ、女神アフロディーテ、女神セレーネ、大神ゼウスたちの3兄弟たちです。

ギリシアの神々の遺跡は、私にとっては、長い間、あこがれの土地であるととともに、私たちの親愛なる女神、マスター達の故郷でもあります。

私たちは、19日の深夜のトルコ航空で関空を出発、イスタンブールで乗り換え、時差の関係で翌日の早朝には、アテネ空港に降り立っていました。

アテネの朝は雨模様、でもせっかく私が来たのだからと観光中はお天気にしてくださいと、

神々にお願いしながら、バスでアテネ市内に向かいます。

アテネにつくと最初からアクロポリスの見学です。

クロポリスに私たちがつくと、見事に雨は止んでいます。

これからの旅行中も、夜とバス移動の間は雨が降り、観光中は晴れるといったことが続きました。

アクロポリスは、アテネ市内の中心にあり、バスで近くまでのぼりあとは歩いていきます。

アクロポリスといえば、必ず歴史の教科書に掲載される女神アテネを祀ったパルテノン神殿が有名ですね。

このパルテノン神殿は、アテネ市内のどこからでも見えるような位置にあります。

◎ヘロディス・アッティコスの音楽堂

私たちは、アクロポリスの丘に入りパルテノン神殿を目指します。

最初にあらわれてくるのは、アクロポリスの南西側の斜面にあるヘロディス・アッティコスの音楽堂

161年ころにローマ帝国の執政官であったアッテイコスが妻の死を悼んで作った劇場です。



◎プロピュライア(前門)&アテネニケ神殿

さらに丘を登ると、アクロポリスの正面玄関となるプロピュライア(前門)につきます。

まずここでその門の迫力と美しさに圧倒されます。

神々を迎えるにふさわしい素晴らしい門です

この門の横にはアテナ・ニケ神殿があります

ご存知のように、スポーツ用品のナイキ(NIKE)の名前の由来となった女神ですね

こじんまりとした美しい神殿です




◎パルテノン神殿

そして門を入ると、ど~~~んと目の前にパルテノン神殿が現れます。

紀元前432年に完成した神殿ですから、もう2500年近く前の神殿なわけです。

中央にふくらみのある円柱が東西の面に8本ずつ、南北の面に17本ずつ立っています。

残念ながら修復中ということで、中に重機があったり周りが囲まれていたりして、殺風景ですが、それでも、過去の栄光が伝わってきます。

この神殿は、女神アテネを祀ってあるのですが、ギリシアの神話のいくつもの場面がレリーフとして飾られていたようですが、今は、博物館に
展示されてあります。

夢にまで見た神殿にようやく会えたという感じです

女神アテネに「ようやく来たね」というと「いいんだけどね、うるさいのよね!」と笑っていました。



◎エレクティオン神殿

パルテノン神殿よりも私が気になったのは、実はこちらのエレクティオン神殿。

前5世紀末に完成した神殿でアテネ女神、ポセイドン神、伝説上のアテネ王エレクテウス、ヘファイストス神などを祀った神殿です。

この女性たちが神殿を頭で支えている姿、カリュアティデスの演壇というそうですが、写真で見てとても気になっていたのですが、ここにあったんだ! という感動が起こります。

残念ながら、本物の女神の像は博物館にあるそうですが、それでもこの美しい姿に、つい見とれてしまいました。

そしてしばらくこの神殿の前で瞑想した後、このアクロポリスの丘に創造主の光りをしっかり導いて帰りました。


  


Posted by 瀬戸 武志 at 19:18Comments(0)ギリシア・イタリア旅行記