からだ・はうすの「癒してHAPPY」

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2011年10月14日

太極拳と私が歩んできた道6 屋久島での宇宙気功

太極拳と私が歩んできた道6 屋久島での宇宙気功



屋久島での樹林気功は、私の気功同好会の集大成でした

屋久島には、当時、山縣さんという女性の方が「天然村」というペンションを経営されていました

この方は、古くから「玄米正食」を実践し「自然出産」を指導されている方でした

とても智慧と行動力のある方で、品格のある霊性の高い方でした

私達はよく「天然村」に泊らせていただき、山縣さんが作っていただいた食事を頂き

山縣さんのお話を聞かせていただきました


そして夜も更けてくると、深夜のダンスショーが始まります にっこり

実はこの山縣さん、歌手で有名な「あがた森魚」さんのお母さんなのです

(本名・・山縣 森雄(やまがた もりお)、赤色エレジーで紅白出場

最近では、今度始まる妖怪人間ベムの緒方浩靖役を演じるそうでびっくりひょえー

ですから本当は音楽が大好きで、私達が来るとダンスショーを始めます

いつも真っ白いフワフワのドレスをきて、天界から降り立った天女のように

この世のものとは思えないほど美しく舞い踊るのです

(ただし当時、もうすでに70歳を過ぎていたとおもいます)

彼女は長い間、自然食と瞑想を続けているので、存在自体が宇宙のなのです

そしてこの美しき天女に見送られて、私達は屋久島の森に入っていきます




屋久島の森・・といえば「もののけ姫」の舞台となった場所としても有名ですよね

特に白谷雲水郷は、精霊たちの世界が広がるような場所ですね

一番上にある写真は、白谷雲水郷で太極拳を舞っているところです

この白谷雲水郷には、スピリチュアルの有名人山川紘也。亜希子夫妻と一緒でした

この屋久島で、私は、山川先生から、不思議なメッセージを受け取ったり

一緒に瞑想することで、この宇宙のすばらしさに深く気づくことが出来ました

上の写真もよくご覧ください、きっと自然界の精霊たちの光りが見えるでしょう





そして、私達にとってお気に入りの場所は、もちろん屋久杉ランドでした

すばらしい風格の屋久杉の前で樹林気功をしていると時間を忘れてしまいます

私達が、よく屋久島に行っていたころは「世界遺産」になる前の頃ですから

観光客も少なく規制もなかったので、屋久杉に触ったり、寝転がったりと

自由にゆっくりとした時間を過ごすことができ、屋久島のすばらしい気を満喫できました

下の写真は、有名な縄文杉ですね、

何かしら偉大な叡智を秘めた「聖老人」に見えませんか

私達はこのようにして、自然界の気と一つに心を通わしながら

宇宙の偉大なパワーを受け取っていたのです

屋久島は私達にとって、まさに宇宙そのものでした

私達の気功同好会は、このようにして活動していたのです

しかしながら、私の仕事が忙しくなるにつれ、気功の活動も停滞し始めました

後半は、気の合う少数の仲間とゆっくりと気を交し合う活動へと変わり

20年後の今に至ったわけです。

本当は、私の活動は、もっとスピリチュアルな活動に変わっていったのですが

それはまた別の機会にお話ししましょう




  
タグ :気功太極拳


Posted by 瀬戸 武志 at 15:22Comments(0)気功・太極拳

2011年10月13日

太極拳と私が歩んできた道5 自然と一つに溶け合う樹林気功

太極拳と私が歩んできた道5 自然と一つに溶け合う樹林気功



私が気功の中でも、最も得意としたのは、樹林気功です

この気功は、教室の中でなく野外、それも山や海で行います

気功の目的は、自然の万物に存在する気と一つになることです

宇宙の気も、自分自身の中にある気もすべて一つです

宇宙をマクロコスモスと呼ぶなら、人はミクロコスモスです

私はその事を皆さんに気づいてもらうために、よく野外で気功を行いました


私は若いころから、自然界の気にとても敏感でしたし、

日本の霊山やパワースポットと呼ばれる場所には数多く出かけています

そしてそのような場所で瞑想したり、太極拳を舞うことによって、

その土地の気と交わり、霊感を開き、多くの不思議な体験をしてきました

それは私にとって、多くの学びとなり自分の才能を開花させる手助けとなりました

この自然界には、自分を受け入れ、高め、そして導いてくれる存在があることも知りました



私は鹿児島気功同好会の活動の一つに「樹林気功」を取り入れ、

会員たちと共に、霧島や屋久島によく出かけていきました

上の写真は、一人一人が樹木と向かい合い、

樹木と会話をするように気の交流を楽しんでいます

一番上にある写真は、霧島の巨大杉です

私は、霧島の中でも、山頂付近にある池めぐりのコースが大好きでした

下からゆっくりと山道を登りながら、気を高めていきます

最初の展望台では広い場所があるので、「太極拳」を演じ

山の精霊や自然界の気にご挨拶をさせていただきます

そして池と山道を巡りながら最大のパワースポット「六観音池」に近づきます

「六観音池」に近づくと、突然巨大杉が現れます。

そうです。上の写真からもとてもいい気のエネルギーが伝わってくるでしょう

私達はここでしばらく静寂の時間を過ごします



そして、秋の紅葉に染まる「六観音池」に降り立つ頃には

心も体も癒され、内なる気も優しさに満ち溢れてきます

この池のほとりでお弁当を頂きながら、美しい池に心を解き放つのです

これが私の気功同好会の、一番楽しいひと時でした
  
タグ :太極拳気功


Posted by 瀬戸 武志 at 12:51Comments(0)気功・太極拳

2011年10月12日

太極拳と私が歩んできた道4 鹿児島気功同好会の発足

太極拳と私が歩んできた道4 鹿児島気功同好会の発足



私は、鹿児島鍼灸・指圧専門学校を卒業し、鍼灸指圧師としての国家資格を取得

そしてすぐに中国の上海中医学院に短期留学して中国気功師の認可も得ました

その後鹿児島に戻った私は、鹿児島気功同好会を結成しました

そして、当時勤務していた治療院の2階を気功の道場にお借りして

中国気功法と太極拳の普及に努めることになったのです

中国気功法は、昼と夜に道場や友人のダンススタジオで教室を開催したり、

鴨池公民館で連続講習会を行ったりして、少しずつ生徒を増やしていきました

多いときは生徒の数も60~80名を超えクラスも8クラス程度行っていました

太極拳は、鹿児島に来てから、地元で活躍されている出水の前田先生に御世話になり

楊名時先生の「気功太極拳24式」を学ばせていただきました

楊名時先生の太極拳は、私が以前行っていた「正宗太極拳」よりも短く

だれにでも実践ができる素晴らしい太極拳でしたので、

私も、一般の方を指導するときは、「気功太極拳」をおこなわせていただきました

上の写真は「八段錦」と呼ばれる気功です




この気功同好会が始まったのは、確か1990年頃だったと思います

今からちょうど20年前ですね(写真の日付からしても・・)

そこから今年まで、とどまることなく気功と太極拳を実践し教え続けてきました


私の気功法の基本の一つは呼吸法です

4式呼吸法と呼んでいますが、異なる4つの呼吸を行います

体の中の邪気を吐く活元呼吸や宇宙の気を取り入れる合掌呼吸

体の中に気をめぐらす小周天、丹田を強化する丹田呼吸等です

そして、体の関節を呼吸と共に動かし柔らかくする保健功

太極棒と呼ばれる棒を使用して体内の気をめぐらす「太極棒気功」

そして体の気を整えたところで行うものが「太極拳」です

「太極拳」は動く瞑想ともよばれていて、太極拳をゆっくりと舞っていると

この宇宙と一つに交わるような意識状態が生まれてきます

体の中がゆったりとして、心臓の鼓動や血液のながれる音が聞こえてきそうです

仕事や生活の中で疲れてしまった人達にはお勧めですね

最後は、しばらく呼吸を整えながら、瞑想を行います


私達にとって気功とは、自分自身をを見つめ健康になるための大切な方法です

今の私が健康で休みも取らず仕事を続けられるのも、

また普通の人には理解できないような認識力を持つのも

きっとこの気功を続けることで、自分の潜在能力を開発してきたおかげです

  
タグ :気功太極拳


Posted by 瀬戸 武志 at 09:13Comments(0)気功・太極拳

2011年10月07日

太極拳と私が歩んできた道3 中国で本場の気功を学ぶ

太極拳と私が歩んできた道3 中国で本場の気功を学ぶ


東京での修業を終え、鹿児島に戻ってきた私は、治療の資格を取るために

鹿児島市の高麗町にある「鹿児島鍼灸学校」に入学しました

私の最初の太極拳の師である島先生が鍼灸師であったことから

若いころから治療には大変興味を持っていました

その頃、ミルキーウエイで行われていた整体や、

瓜生先生から教えていただいた操体法などを学んでいましたが

やはり人の治療を行うためには、国の医療資格が必要となるので

「鍼灸」と「指圧・按摩・マッサージ」の資格を取るために、

鍼灸学校に入学し、東洋医学を学ぶことにしたのです

そして鍼灸学校では、東洋医学を学ぶ傍ら、

有志と共に気功の同好会を作り、気功の鍛錬をしたり

治療に役に立つように「気功治療」の勉強をしていたのです

写真は、鹿児島の鍼灸・指圧の学校での気功サークルです




私の心の中では、いつか気功の本場中国に行きたいという気持ちも育っていました

鍼灸学校を卒業すると、私はすぐ中国に渡ることにしました

中国の上海にある中国医学の学校に短期留学して

併設されている「上海気功研究所」にて気功を学び始めたのです

こちらの学校では、数名の先生から保健功や武術気功

太極気功、そして人の治療をするための外気功も習いました

上海中医学院の寮に1か月ほど滞在しての短期留学でしたが

本場の中医や気功の先生から直接学ぶことのすばらしさを体験

そして同じ寮生の方から紹介してもらった老師(気功の先生)からは

中国でもハイレベルとされる「禅密功」の指導を受けたのです



またこの留学の期間は、よく中国の公園や名所にも行きました

そして地元の人達が公園で太極拳を演じるさまを見せてもらったり

杭州等の中国の名勝(パワースポット)にも出かけ

その場で大地の気を頂きながら、自ら太極拳や気功を行いました

私にとっては、自分の気(太極拳)と向かい合う大切な時間を過ごさせていただきました






  
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Posted by 瀬戸 武志 at 10:02Comments(0)気功・太極拳

2011年10月06日

太極拳と私が歩んできた道2 中国拳法・気功法との出会い

太極拳と私が歩んできた道2 中国拳法・気功法との出会い



私が島先生から太極拳を学んだ後に、島先生の先生である佐藤金兵衛老子に

弟子入りすることになったのは私が、28歳の頃であったと思います

佐藤金兵衛老子は日本の高名な武術家で日本の拳法のみならず

中国の老子より多くの中国拳法を学んだ方です

特に王樹金老子より形意拳、太極拳、八卦掌を学ばれ、全日本中国拳法連盟を設立。

私も、この東京の連盟の道場にて太極拳や八卦掌を学びました。

そして、私が鹿児島に帰る前に、太極拳の指導員としての資格を頂きました

この佐藤金兵衛老子は非常に小柄な方でこよなく酒を愛されていました

本当に、日本の古き武術家の風情を残されていた方でした




そしてもう一人の先生が、私に気功法を教えてくれた柿崎先生です

柿崎先生は、中国との貿易に携わっていられた方ですが

日本でもいち早く医療気功の考え方を取り入れられた先生です

日本で初めてNHKなどのカルチャーセンターで気功教室を開催され

私も時折同行させていただき学ばせていただきました

柿崎先生からは、「太極15勢」「保健功」等の気功を教えていただき

気功の指導員としての認定を頂きました


私は鹿児島に帰ってから太極拳や気功法を指導したいと思っておりましたので

東京にいる間に、整体治療と共に、毎日道場通いを続けていました

この間日本の太極拳屋中国拳法の先人と共に時間を過ごせたことは

私にとってとても大切な経験となりました

ひとつの事を達成した人間の風格、深さ、豊かさ

先生の言葉ひとつから零れ落ちる智慧、

私は、自分の人生の初めにこのような素晴らしい出会いを得たことで

自分の人生をどのように生きていくかを考え始めたのです







  
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Posted by 瀬戸 武志 at 08:40Comments(0)気功・太極拳

2011年10月05日

太極拳と私が歩んできた道1、太極拳との出会い




太極拳と私が歩んできた道1、太極拳との出会い

実は私の健康の源は、なんといっても気功太極拳によるところが多いのです

鹿児島に来て「鹿児島気功同好会」を立ち上げておそらく20年くらいが過ぎました

最初は生徒も多く、各地で講習会などを行っていましたが

後年は、数少ない友人とゆっくりと気を交し合うための会となりました

この「鹿児島気功同好会」この9月で活動をしばらく休止します

私の人生と共に流れてきた気功、そして太極拳

ここで自叙伝風に、振り返ってみたいと思います

私の得意の独りよがりの記事で申し訳ありません

尚写真は25年以上前の物もありますので古いです困ったな





太極拳と私が歩んできた道1、太極拳との出会い


鹿児島に来る以前、私は東京で治療や気功の勉強をしていました

私が生活していたミルキーウエイと呼ばれるコミューン(共同体)で

週に数度、ヨガや太極拳、整体のクラスを開いていました

今から30年も前の事です 困ったな

私もまだ20代初め、自然や「気」に対してとても大きな興味を持っていました

勿論、カンフー映画のジャッキーチエーンやブルース・リーに影響されたこともあります

最初はヨガを試みたのですが、生まれつき体が硬くて、こちらはすぐにリタイア

太極拳の方は未だ体が硬い私でもいけそうでしたし、

男性が拳法着をきて、ゆっくりと拳法の型を行う姿は荘厳でもありました

この時の先生は、島先生という方で、ご自分でも鍼灸治療をされる方でした

その後、このミルキーウエイの主催者である大友さんに引きつがれました

私は東京にいる間、この太極拳を学び、太極拳の型を行うことによって

自らの体の中に、「新しい気のルート」を見出し鍛えてきたように思えます

太極拳は、単に自分の体を鍛えるばかりでなく、

自分の心の中に安らぎや静けさを見出すための方法です

そして自分の内側に起こってきた「気」は、この宇宙とのつながりを作っていきます

分かりづらい言い方かもしれませんが、これが気の流れです

自分の頭頂や体から、湯気のような気が立ち上り自然界に広がっていくのです


私が最初行ってきた太極拳の正式な名称は「正宗太極拳」と呼ばれていました

太極拳は日本で、楊名時さんが創始した「24式太極拳」が有名ですが

中国では多くの流派があり、それぞれ独自の型があります

私が最初に行っていた「正宗太極拳」は99の型を連続して行うもので

時間いしても最初から最後まで行うと、ゆうに30分は越えてしまいます

若い体力がある頃でも、この30分の型を行うのは結構大変で

ずいぶんと体が鍛えられましたね、今でも健康なのはこの太極拳のおかげです

そしてこの太極拳は、まだ武術としての形を保っていた珍しい流派でした

次回中国拳法と気功法との出会いに続きます










  
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Posted by 瀬戸 武志 at 10:00Comments(0)気功・太極拳