2012年06月26日
鹿児島県知事選で原発にNOといいたい
鹿児島県知事選で原発にNOといいたい

実は私は25歳のころから自然とともに生きていきたいと思い
有機農業の真似事をして野菜を作ったり
玄米自然食をもとにお弁当屋さんをやってきた時期がありました
もちろんそのころから、自然環境を守るために原子力発電に反対してきました
でもいつしか、日本の国には多くの原発ができてしまい
原発がないと、日本の経済と国民の生活は成り立たないようになってしまいました
社会も、それを当たり前と思い、電力会社を中心とした社会構造が出来上がっているようにも見えました
福島原発の事故直後も、マスコミは電力会社寄りの立場を崩しませんでした
ところが、予想以上の原発の被害に、ようやく国民も原発に対する不信感を持ち始めたのです
原発によって日本の経済が作られてきたかもしれません。
しかし福島の事故によつて、その原発の安全性は虚構であること
原発の事故によって、経済はもちろん、国民一人一人の健康と生活
そしてかけがえのない未来も一瞬のうちに崩れ去ることが判明しました
原発の事故がひとたび起これば、そこに残るのは人が住めない廃墟だけなのです
私は、鹿児島をそのような街にはしたくありません
事故が起これば、福島のように、政府からは見捨てられてしまいます
充分な補償もなく、一生、原発の放射能によって引き起こされる病気におびえながら生きていくのです
もちろん会社だって成り立ちません
私が、若い頃から20年もの歳月を費やして作ってきた「からだ・はうす」も一瞬のうちにぼろぼろになってしまいます
大切なスタッフの生活さえも面倒を見ることができず、きっと多くを失うことでしょう
それは福島を見れば明らかです
私は、自分に家の庭に多くの果樹を植えています
すももや枇杷、ぐみにブルーベリー、ミカンにさくらんぼ
川内で事故が起これば、きっとそれらの果樹も口にすることもなくなるでしょう
原発事故は、私たちの健康や生活、仕事、そして未来のすべてを奪うのです
そうなったとき、政府も知事も、国家も誰も助けてはくれないのです
総理大臣も県知事も任務が終われば、自分がしたことに対して全く責任を取りません
責任なんて誰もとることができないのです
だったら、初めから原発はNO!と私は言いたい
向原さんが川内で、切々と語っています

実は私は25歳のころから自然とともに生きていきたいと思い
有機農業の真似事をして野菜を作ったり
玄米自然食をもとにお弁当屋さんをやってきた時期がありました
もちろんそのころから、自然環境を守るために原子力発電に反対してきました
でもいつしか、日本の国には多くの原発ができてしまい
原発がないと、日本の経済と国民の生活は成り立たないようになってしまいました
社会も、それを当たり前と思い、電力会社を中心とした社会構造が出来上がっているようにも見えました
福島原発の事故直後も、マスコミは電力会社寄りの立場を崩しませんでした
ところが、予想以上の原発の被害に、ようやく国民も原発に対する不信感を持ち始めたのです
原発によって日本の経済が作られてきたかもしれません。
しかし福島の事故によつて、その原発の安全性は虚構であること
原発の事故によって、経済はもちろん、国民一人一人の健康と生活
そしてかけがえのない未来も一瞬のうちに崩れ去ることが判明しました
原発の事故がひとたび起これば、そこに残るのは人が住めない廃墟だけなのです
私は、鹿児島をそのような街にはしたくありません
事故が起これば、福島のように、政府からは見捨てられてしまいます
充分な補償もなく、一生、原発の放射能によって引き起こされる病気におびえながら生きていくのです
もちろん会社だって成り立ちません
私が、若い頃から20年もの歳月を費やして作ってきた「からだ・はうす」も一瞬のうちにぼろぼろになってしまいます
大切なスタッフの生活さえも面倒を見ることができず、きっと多くを失うことでしょう
それは福島を見れば明らかです
私は、自分に家の庭に多くの果樹を植えています
すももや枇杷、ぐみにブルーベリー、ミカンにさくらんぼ
川内で事故が起これば、きっとそれらの果樹も口にすることもなくなるでしょう
原発事故は、私たちの健康や生活、仕事、そして未来のすべてを奪うのです
そうなったとき、政府も知事も、国家も誰も助けてはくれないのです
総理大臣も県知事も任務が終われば、自分がしたことに対して全く責任を取りません
責任なんて誰もとることができないのです
だったら、初めから原発はNO!と私は言いたい
向原さんが川内で、切々と語っています
Posted by 瀬戸 武志 at 09:23│Comments(0)
│県知事選