2015年02月24日
2000年前の王宮都市 ワカ プクヤーナ マチュピチュ&インカへの旅4
2000年前の王宮都市ワカ プクヤーナ マチュピチュ&インカへの旅4

私たちは、リマの市内観光を終え、一度ホテルに戻りましたが、そこからタクシーをチャーターして、ペルーの古代遺跡へと向かうことになりました。
最初の場所はリマのミラフローレス区というとてもおしゃれな高級住宅街の中に突然現れた古代遺跡「ワカ・プクジャナ」です。
ここは小高い丘だった場所が、開発のために土を削ったところ丘全体が巨大な遺跡であることが判明し、現在でも発掘調査が行われている場所です。
この遺跡の横には、ここで発掘された土器やミイラ、織物などを展示してある博物館や遺跡を見ながら食事ができるおしゃれなレストランもあります。
こちらはここから発掘された巨大で繊細な模様が描かれた土器です。

私たちは、考古学の専門のガイドさんとともに遺跡を巡ります。
この遺跡は、おそらく王宮の遺跡のようですが、この広い遺跡の中には、たくさんの人々が住んでいたようで畑や動物などを飼育した場所、川の水を引いて魚などを養殖したような形跡も残されており、遺跡の入り口にある模型でその当時の様子を知ることができます。
この遺跡は、おそらくリマ近郊に発展していたモチェ文化やレクアイ文化の時代のものではないかと推測されます。
つまり、紀元0年から紀元後500年くらいの間に作られた遺跡のようです。
この名前の由来となった「ワカ」とは、自然のもつ特異な力によって生み出されたもの ─ 太陽・月・星・雷・奇石など ─ や特定の場所 ─ 山岳・泉・巨木など─を意味している言葉です。
つまり、ワカ(アンデスの神々)として信仰の対象となり、人々の生活を支える力を放射していた場所や物のことです。

こちらは王宮の上から見た当時の生活区域です
私たちは遺跡の中に入って、まずその大きさに驚きました。
まるで東京ドームを思わせるくらいな巨大な遺跡が、まだ土の中に半分以上隠れたまま横たわっていますが、その凄い存在感に圧倒されます。
ガイドさんの導きで、この王宮の畑や庭で農作業や日干しレンガなどを作っている様子が紹介されたあと、この王宮の機能について説明があります。
そして、遺跡の横にある畑や牧畜場で、実際どのような作物や動物が飼育されていたかを見せてもらいます。
私たちは、そのあと王宮の遺跡の正面に立ちますが、写真意入りきれないくらい巨大な台形のピラミッドを目の前にして立ちすくみます。

そして、私たちは遺跡の中に入るのですが、ものすごい神聖な気に包まれて遺跡を登っていきます。
この遺跡は、砂漠地帯のためなのか巨大な石ではなく、日干し煉瓦を縦に組み合わせることによって作られています。
日干し煉瓦を縦にしたまま積み上げることで、耐震機能を高めたようです。
この遺跡はいくつもの場所に分かれており、王様たちが暮らす場所や会議を行う場所、儀式を行う場所があるようです。
中には、作物の貯蔵庫かもしかしたら、この神聖な場所を保つために、人が埋められたような今世紀がある場所もあります。
私たちはこの王宮遺跡の一番高い場所に立ちます。
周りはおしゃれな住宅街や背の高い近代的なオフィス・ビルが立ち並んでいます。
一つのビルを指さして、まるで現代のピラミッドだよ、とガイドさんが笑います。

私たちは、ガイドさんたちと離れて、小高い見通しの良い場所で瞑想に入ります。
ここにはナスカコードと呼ばれている特殊なエネルギーが存在していることがわかります。
それはこの場所が、スピリチュアル界にある神聖な世界を現実の世界に表すために作られた特別な場所であり、その作業を行った王族や神官たちは、このナスカコードの特徴である「神聖な世界を現実世界に生み出す能力」というものをすでに持っていたのです。
私たちは太陽の光を受けて祈ります。
大きなエネルギーが私たちを包み私たちと一つになります。

私たちは、祈りを終え遺跡を下ってきました。
遺跡の下には、御覧のように、当時の祭祀の様子を表したマネキン人形による模型が置かれています。
いくつもの、お供え物をして祈っている人々の姿が描かれています。
私はつい懐かしくなって、帰ってきたよ、ほらここに僕がいる、と話しかけています。笑い
すると、話しかけられた人形が、さほど強い風もないのにバタンと倒れてしまいました。
私たちもガイドさんも大慌て、この人形を支えるために15㎝くらいある鉄の棒が足の中に入っていたのに、外れちゃったみたいです。
そこまでわかりやすくしなくてもよいのに、とまた大笑い。
私たちは、この巨大な王宮の遺跡を後にして次の遺跡に行くことにしました。

この日に受け取ったメッセージもご紹介します。
2月12日 神聖なる神官の塔と王の宮殿
ワカ・プクジャナ(ワカ プクヤーナ )の地に皆さんの光りがもたらされることによって、この地に眠る叡智が目覚めさせられました。
王の宮殿は、そこに多くの人々が生活し王と神官たちの生活を支えていました。
彼らは、「築く人」と呼ばれました。
その気高い叡智でこの自然の営みを、宇宙の運航の暦によってつかさどっていました。
彼らは、自然界の神秘を預かる人でした。
星の巡りをこの地の四季に移し替え、作物や動物たちを育てました。
また、この大きな宮殿の中に川から水を引き、魚も育てたのです。
彼らが行ったことは、四季の作物や動物たちの生命を神にささげる事でした。
もちろん彼らは、神の一部として、それらの作物を食し、自らの一部にすることによって、大いなる宇宙との一体感を得ようとしたのです。
作物を通して、偉大なる神と一つになるという思想はこの当時から広く分かち合われました。
作物や動物はすべて神の使いにとして人々に分かち合われたのです。
あの大きな宮殿跡は、そのことを行うために作られました。
神の大きさを示すために、今までにない巨大な規模の建物が作られ、
その中に作物や動物たちを育てることで、宇宙の摂理を、この地に表したともいえるでしょう。
この王宮遺跡は、目に見えない世界、神の創造の世界をこの地に表したものといえるでしょう。
それこそが「ナスカコード」の本質ともいえるものです。
神々の世界を、自らの内に表現すること、現実世界に作り出すことによって、彼らは自分たちと神々の距離を果てしなく近いものとし、さらには、神との合一を果たしていったのです。

私たちは、リマの市内観光を終え、一度ホテルに戻りましたが、そこからタクシーをチャーターして、ペルーの古代遺跡へと向かうことになりました。
最初の場所はリマのミラフローレス区というとてもおしゃれな高級住宅街の中に突然現れた古代遺跡「ワカ・プクジャナ」です。
ここは小高い丘だった場所が、開発のために土を削ったところ丘全体が巨大な遺跡であることが判明し、現在でも発掘調査が行われている場所です。
この遺跡の横には、ここで発掘された土器やミイラ、織物などを展示してある博物館や遺跡を見ながら食事ができるおしゃれなレストランもあります。
こちらはここから発掘された巨大で繊細な模様が描かれた土器です。

私たちは、考古学の専門のガイドさんとともに遺跡を巡ります。
この遺跡は、おそらく王宮の遺跡のようですが、この広い遺跡の中には、たくさんの人々が住んでいたようで畑や動物などを飼育した場所、川の水を引いて魚などを養殖したような形跡も残されており、遺跡の入り口にある模型でその当時の様子を知ることができます。
この遺跡は、おそらくリマ近郊に発展していたモチェ文化やレクアイ文化の時代のものではないかと推測されます。
つまり、紀元0年から紀元後500年くらいの間に作られた遺跡のようです。
この名前の由来となった「ワカ」とは、自然のもつ特異な力によって生み出されたもの ─ 太陽・月・星・雷・奇石など ─ や特定の場所 ─ 山岳・泉・巨木など─を意味している言葉です。
つまり、ワカ(アンデスの神々)として信仰の対象となり、人々の生活を支える力を放射していた場所や物のことです。

こちらは王宮の上から見た当時の生活区域です
私たちは遺跡の中に入って、まずその大きさに驚きました。
まるで東京ドームを思わせるくらいな巨大な遺跡が、まだ土の中に半分以上隠れたまま横たわっていますが、その凄い存在感に圧倒されます。
ガイドさんの導きで、この王宮の畑や庭で農作業や日干しレンガなどを作っている様子が紹介されたあと、この王宮の機能について説明があります。
そして、遺跡の横にある畑や牧畜場で、実際どのような作物や動物が飼育されていたかを見せてもらいます。
私たちは、そのあと王宮の遺跡の正面に立ちますが、写真意入りきれないくらい巨大な台形のピラミッドを目の前にして立ちすくみます。

そして、私たちは遺跡の中に入るのですが、ものすごい神聖な気に包まれて遺跡を登っていきます。
この遺跡は、砂漠地帯のためなのか巨大な石ではなく、日干し煉瓦を縦に組み合わせることによって作られています。
日干し煉瓦を縦にしたまま積み上げることで、耐震機能を高めたようです。
この遺跡はいくつもの場所に分かれており、王様たちが暮らす場所や会議を行う場所、儀式を行う場所があるようです。
中には、作物の貯蔵庫かもしかしたら、この神聖な場所を保つために、人が埋められたような今世紀がある場所もあります。
私たちはこの王宮遺跡の一番高い場所に立ちます。
周りはおしゃれな住宅街や背の高い近代的なオフィス・ビルが立ち並んでいます。
一つのビルを指さして、まるで現代のピラミッドだよ、とガイドさんが笑います。

私たちは、ガイドさんたちと離れて、小高い見通しの良い場所で瞑想に入ります。
ここにはナスカコードと呼ばれている特殊なエネルギーが存在していることがわかります。
それはこの場所が、スピリチュアル界にある神聖な世界を現実の世界に表すために作られた特別な場所であり、その作業を行った王族や神官たちは、このナスカコードの特徴である「神聖な世界を現実世界に生み出す能力」というものをすでに持っていたのです。
私たちは太陽の光を受けて祈ります。
大きなエネルギーが私たちを包み私たちと一つになります。

私たちは、祈りを終え遺跡を下ってきました。
遺跡の下には、御覧のように、当時の祭祀の様子を表したマネキン人形による模型が置かれています。
いくつもの、お供え物をして祈っている人々の姿が描かれています。
私はつい懐かしくなって、帰ってきたよ、ほらここに僕がいる、と話しかけています。笑い
すると、話しかけられた人形が、さほど強い風もないのにバタンと倒れてしまいました。
私たちもガイドさんも大慌て、この人形を支えるために15㎝くらいある鉄の棒が足の中に入っていたのに、外れちゃったみたいです。
そこまでわかりやすくしなくてもよいのに、とまた大笑い。
私たちは、この巨大な王宮の遺跡を後にして次の遺跡に行くことにしました。

この日に受け取ったメッセージもご紹介します。
2月12日 神聖なる神官の塔と王の宮殿
ワカ・プクジャナ(ワカ プクヤーナ )の地に皆さんの光りがもたらされることによって、この地に眠る叡智が目覚めさせられました。
王の宮殿は、そこに多くの人々が生活し王と神官たちの生活を支えていました。
彼らは、「築く人」と呼ばれました。
その気高い叡智でこの自然の営みを、宇宙の運航の暦によってつかさどっていました。
彼らは、自然界の神秘を預かる人でした。
星の巡りをこの地の四季に移し替え、作物や動物たちを育てました。
また、この大きな宮殿の中に川から水を引き、魚も育てたのです。
彼らが行ったことは、四季の作物や動物たちの生命を神にささげる事でした。
もちろん彼らは、神の一部として、それらの作物を食し、自らの一部にすることによって、大いなる宇宙との一体感を得ようとしたのです。
作物を通して、偉大なる神と一つになるという思想はこの当時から広く分かち合われました。
作物や動物はすべて神の使いにとして人々に分かち合われたのです。
あの大きな宮殿跡は、そのことを行うために作られました。
神の大きさを示すために、今までにない巨大な規模の建物が作られ、
その中に作物や動物たちを育てることで、宇宙の摂理を、この地に表したともいえるでしょう。
この王宮遺跡は、目に見えない世界、神の創造の世界をこの地に表したものといえるでしょう。
それこそが「ナスカコード」の本質ともいえるものです。
神々の世界を、自らの内に表現すること、現実世界に作り出すことによって、彼らは自分たちと神々の距離を果てしなく近いものとし、さらには、神との合一を果たしていったのです。
Posted by 瀬戸 武志 at 07:24│Comments(0)
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