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2015年02月23日

中南米に起こった古代文明 


中南米に起こった古代文明 

ペルーへの旅行が始まりました。
今回の旅行は、インカ文明以降の古代文明を訪ねることが目的の一つですが、最初に、ペルーに起こった文明の歴史について軽くおさらいをしておきましょう。

ペルーというとインカ文明と皆さんお思いになりますが、このインカ文明は、ペルーの中では最も新しい文明で、それまでに各地で独自に発展していた古い文明を統合したのがこのインカ文明なのです。

ペルーには、およそ紀元前1000年頃から高度の文明が発展していたといわれており、その歴史や文明の質は、エジプト文明に勝るとも劣らないものです。
現在、新たな遺跡がどんどん発掘されていますが、ピラミッドや金細工などの質を見ると、エジプトとも非常に大きな共通点を持つ文明であることには間違いありません。

また古い文明の中には、地球以外の星の人と接触していたと思わせるような地上絵や土器、金細工なども複数存在しており、地球人の人種として起源や発展に関して、非常に興味深いものがあります。


○ペルー北部海岸地区の黄金の文明

ペルーはまず北部の海岸地方を中心に「チャピン文化」と呼ばれる最初の文化が、紀元前1000~紀元前500年の間栄えていたといわれます。
高度な仕組みの神殿やジャガーや蛇などを描いた素晴らしい彫刻が今でも、神殿の遺跡に残されています。

その後、プレインカの花ともいえる「モチェ文化」や「レクアイ文化」が、紀元前後から紀元後700年頃まで栄えたのです。
この文化は、次回の美術館でもご紹介しますが、非常にユニークで写実的な土器や高度な技法が凝らされた金細工の作品を生み出した、非常に叡智の高い文明です。
次回紹介する美術館の作品は、主にこの時代の作品であるといわれています。

その後これらの文化は、金細工で世界中に有名となった黄金の王国「シカン文化」「チムー王国」へと引き継がれていきました。
チムー王国は、紀元後1100年から1500年の間に栄えたプレインカ最大の王国で、インカ帝国にあった金細工は、ほとんどがここで生産されたものではないかといわれています。
今回ご紹介する、王宮とピラミッドも、紀元前後に作られたもので、この文明の特徴的な遺跡の一つです。

中南米に起こった古代文明 



○ペルー中部海岸地区の地上絵の文明

ペルー中部の海岸地方では、これらの文明と時を同じくして、ナスカ文明の前身である「パラカス文明」とその影響を受けた「ナスカ文明」が、紀元前300年から紀元後800年の間に栄えました。
この1000年の間に、ペルーの地に住む多くの人種たちが、とてもおおきな精神的&霊的成長をしていったことは間違いありません。
有名な、ナスカの地上絵もこの文明の大切な遺跡ですので、高度な宇宙や天体に関する情報などもあったことでしょう。

またナスカよりも古い地上絵であるパラカスの地上絵では、王様や女王様とともにいいる存在や不思議な恰好をした旅人、4人のシャーマンたちも描かれており、地球以外の存在との接触が予想されます。
現在、この地上絵の近くに、地上絵を描いたとされる所属の遺跡「カワチ遺跡」が発見されており、地上絵の秘密も解き明かされていくかもしれません。

中南米に起こった古代文明 
4人のシャーマンたちの地上絵


○アンデス地区の巨石都市文明

同じ時期にチチカカ湖を中心とする高地で起こった文明は、巨石の建造物が特徴的なティワナク文化」でした。
こちらは、紀元前200年から、なんと1200年頃までおよそ1400年間の間続いたといわれる大変長生きで高度な文明です。

一つの文明が、これだけ続くためには、とても高い叡智と技術、そして精神的な支柱となる宗教が正しく受け継いでこられる必要があります。
しかも、あれだけ標高が高く作物も十分に育たないような場所に、文明が栄えたことも不思議です。

その後これらの文化の影響を受けた文明がいくつも生まれてきますが、それぞれが、とても高度な叡智と特徴を持った文化を育てていきました。
たとえば、中央アンデスで初めて都市による統治を行い道路や生活の設備を整えたのが、紀元後500年から900年の間に発展したのが「ワリ文化」です。
このワリ文化は、マチュピチュやクスコのすぐ近くに巨大な都市建設を行っており、ピキリャクタという遺跡では1万人程度の人々が住んでいたといわれています。
マチュピチュの空中遺跡が作られたのが1400年代ですから、それをさかのぼること600年以上前には、すでに都市建設を行う技術があったのだとされています。
おそらくこの文明が、インカ帝国の政治的、社会的基盤になったのではないかと思われます。

中南米に起こった古代文明 


○南米を統一したインカ文明

ペルーやその近辺に紀元前から生まれ、素晴らしい叡智と技術を生み出した数々の文化を、最終的に統合したのがインカ文明でした。
クスコ近くに住んでいた高地民族が、次々と周りの文化を吸収し統合していったのがインカ文明の始まりです。

おそらく1400年以前に生まれ、1450年に太陽神を崇敬する王族により統合が進められ、1450年頃にインカ帝国として成立した模様です。
1500年頃には、コロンビアからアルゼンチン・チリにまで及ぶ巨大な帝国を作り上げました。
しかし、これだけ素晴らしい技術と英知を持ついくつもの文明達が、歴史のないインカ帝国に簡単に滅ぼされるわけがありませんので、おそらく文明間の間で一つに統合して、より高度な文明を作ろうという動きがあったのかもしれません。

しかし、南米がインカ帝国に統合された後、1532年にスペインの侵略を受けて、インカ帝国は滅びてしまいました。
おそらく100年程度のもっとも短命な文化だったのかもしれません。


しかしこのインカ文明には、ペルー北部の黄金文明の高度な金属加工技術、ナスカ地方の天体や宇宙に関する情報、アンデス地区の巨石都市を作る技術などを、一つに統合させてきたという素晴らしい実績がありました。
その計画を、本当は誰が進めていったのか、とても興味深いところです。

中南米に起こった古代文明 




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Posted by 瀬戸 武志 at 10:01│Comments(0)インカへの旅
 
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